走る

不意に掌の痛みを携えて

俺は街を逃げ出そうとした

俺の座っている場所に

俺の影が真黒く染め上げられ

俺が立ち上がると同時に

俺の影は伸びやかに自由を謳歌するのだ

風が心地いいということがあっても

死にゆく子供を見ているときの風なんて

心地いいこともなんともない

状況に応じて刻一刻と変化する時間

風に意味なんてものはありはしないのさ

俺は煙草を肺に吸い込んで

悟り顔で街を走り出す

息切れすることは百も承知で

目玉をひんむいて夕暮れの哀しみを

したリ顔で踏みつぶすのさ

時代に動かされているなんて感覚は

捨てちまったほうがいい

個人であることなんて意識したってしょうがない

兎にも角にも走ることが先決だ

街の景色を横目で見やりながら

俺は世の中というものを考えてみる

けれど

考えてみたところで

答えなんてものはでてきやしない

見えてくるものといえば

道端に転がるコカ・コーラの空き缶や

煙草の吸い殻やら

マンション建設反対の立て看板ぐらいのものだ

俺は別に皮肉屋じゃあない

街にあるものといえば本当にそれぐらいのものだ

目をかっぽじって見てみたって

価値のあるものなんて

どこにも転がってやしないのさ

笑いあう恋人達の嬉しそうな顔を

羨ましげに眺めながら

俺は街から逃げ出すんだ

ちまたじゃ

世紀末だなんて騒いでるヤツが

沢山いるらしいが

人間が生まれついたときから

すでに世紀末てのははじまってるんだ

今さら騒ぎだすほどのものじゃない

俺はビールをかっ喰らいながら

走り続ける

憂いなんてものは必要ない

金だって有るにこしたこたあないが

生きていけるだけの金があれば

この世は天国に一番近い地獄になってくれる

笑い続けてでもいれば

心の奥にあるわだかまりでさえも

知らず知らずのうちに笑いだすってものさ

街中の喧噪を耳にインプットしながら

俺はスピードをあげる

醜く荒んだ気分を掻き消すために

俺が俺であることを忘れ

そして

その事実と向き合うために

「救いがたい世界だ」

なんて言葉を俺は死んでも吐いたりはしない

なにせ俺は走り続けることで

自分の存在意義なんて高尚ぶった馬鹿げた問題を

頭ん中から追い出しているんだ

アスファルトには焦げた死の匂いが染み付き

堅く閉ざされた街には

曖昧で鬱屈とした空気が流れ込んでいる

俺がいかれた妄想で造り上げた街のイメージより

この街のほうがよっぽどいかれていやがる

スーツに身を包んだサラリーマンを突き飛ばして

俺は走り続ける

なんて心地いいんだろう

頭ん中はドーパミンの大量噴射だ

とめどなく流れる額の汗を舐めるとしょっぱいが

街のあまっちょろい空気に触れていると

そのしょっぱさがやけに旨く感じられる

気がつくと俺は笑いながら走っている

ゆっくりとスクロールする鋼鉄の街に

次から次ぎへと溢れ出てくるスケープ・ゴート

その一人にならないためにも

俺は走り続ける

おかしな話だ

黄色い歯を剥き出しにして俺は笑い続ける

俺がぬくぬくと惨めな生を満喫している間にも

精神を破壊され街の暗部で

廃人同様になっているやつがいる

いつ何時そいつらの仲間入りするともかぎらないのに

俺は無関心を装って見えないふりを続けているのさ

まったくもって俺は愚かで小賢しい男だ

自分の馬鹿さかげんに呆れて

終いにゃ泣きたくなるほどだ

気がつくと俺は同じ所をぐるぐる回っている

まっすぐに走っていたつもりでも

知らぬまにもときた見覚えのある景色に逆戻り

何度も俺は同じことを繰り返している

何度も同じ過ちを繰り返す何一つ学ばない男だ

俺は本当に間抜けなクソッタレだ

腐った街のルールにも気付かずに走り続けていたなんて

本当にどうかしてる

俺の身体の汗は心臓の収縮に敏感に反応し

戸惑いの表情を浮べはじめる

汗のしょっぱさはさっきよりも格段に増し

苦味さえも感じはじめる

スポーツ新聞に載った保険金殺人のニュースを

俺と同じ年齢ぐらいの男が

「俺ならもっとうまくやれるのに。」とニヤニヤしながら

連れの女に自慢げに喋っているのが聞こえる

「なるほど・・」

やっと俺は理解しはじめる

そう

街から逃げ出すなんてことは出来やしない

常々感じていた胸のむかつきから何となくは解っていたが

俺は信じたかったのだ

この忌々しい街から逃げ出す手段が

死を選ぶほかにきっとあるはずだと

走り続けることで

俺や俺を取り巻く全てのモノの何かが見えてくるはずだと

だが街に出口なんてものは

俺がこの地に生まれ落ちたときからありはしなかったのだ

俺は不意に立ち止まる

汗のような涙のような液体が身体中から溢れ出し

次から次へと流れ落ちる

道端でゲロを吐いている中年の男をボンヤリと見やりながら

俺は再び走り出す決意をする

なぜだか分からない

この世に今だ化学の力で持ってさえ解き明かせない謎があるように

俺の魂の暗黒にも解き明かせない精神が宿っているのだ

きっと俺の頭ん中に抗いがたい生への執着ってもんがあるんだろう

俺は走りだす

力の限り腕を振って

俺は走り続ける

掌にこびりついた痛みだけをたよりに

たとえ街から逃げだせなくたってかまわない

「救いがたい世界だ」

なんて言葉を俺は死んでも吐いたりはしないのだ

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