オルガン


それはとても叶わないことで、心は戸惑い、

オルガンの音だけが耳もとを優しくすりぬけていった


知らない人よ


おろかな想いに哀しみはあまりにおもすぎる

からめとられた右腕の無邪気さに時間はなぜこんなにも苦しむのか?

囁きと、横顔と、淡い光の隙間に落とされた時の影

拾い集めた感情の集積に涙を落とした林檎の果肉のようなその唇から

密やかな思いは紡がれ、宙を舞い、ガラスの器をうめる

薄いパラフィン紙のように艶を失った半透明の夏

記憶の面影に包まれた室内は聞き慣れない言い訳を残し

夜の塗膜に小さな穴を穿つ

体温の微かな振動に共振するメトロノーム

蝸牛に沁み込むやわらかな音の渦巻き

ここは世界の底で口ずさむ不埒な暗室

毛糸の帽子に隠されたオルガンの旋律に


知らない人よ


あなたの指先は探しあてる

絡まった毛糸の先に滲む雨粒の温度

徐々に薄くなる記憶の密度に

耳たぶを齧った少女の話

メロディーは人差し指から、親指、薬指の指輪を経由して

小指へと伝わりあまりにも儚い夢の終わりを踊る


知らない人よ


それを優しさ以外、なんと呼べばいいのだろう?

言葉ではなく短い感情の欠落を埋める理由を探しながら

あなたの指先は感情の起伏を激しく殴打する

ふれることもできず

たしかめあうこともできずに


知らない人よ


あなたのあたたかな旋律は夜を静かに離れ

人々の孤独に呼応し戦慄する

私はそれを小さな世界の一瞬の飛沫の中に見るのだ

偽りを投げ捨てた見ず知らずの人々の目の奥に

ハリネズミのような速度で移動し続ける血液の循環の隙間に


知らない人よ


言葉ではなく

音そのものが真実を見据えているのだ






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