手紙


桜の花びらが青空に散る

掌を広げて受け取る君の景色は
小さな水たまりをまたぎ越そうとした
靴底に跳ね返って反射する
日溜まりの和らいだ光に似てとてもやさしい  

心が感じとった光は
薬指の擦り傷に浮き立つ液体の
透明な温度を適度に含んでいて
数千の花びらが舞う午後の星回りを
ゆるやかに傾斜している

飴色の花びらに子供たちの影が怯え
貘に食われそこなった夢の欠片が街のあちらこちらに浮遊している
子供達はそれぞれに大切な思い出の詰まった小箱を抱えて
急ぎ足で桜並木のさきっぽを目指しているようだが
果たしてちゃんと辿り着くことができるのだろうか・・・
不安な眼差しを向けているのは
どうやら僕だけではないような気もするが
遠い思い出の中でしか君の心を覗けないのは
夏の日差しを受け真っ黒に日焼けした君のお兄さんも知っていた事だ

ところで
君は覚えているだろうか?
あの楡の木と
琥珀色した人丈ほどもある大きな石の間に埋めた約束を
あの日
北の空高く戯れる鳥達の呼び掛けに嘘を付いてしまったのは
夕暮れの日差しにキラリと光る
サイダー瓶のひとしずくに心を奪われて
ついぼんやりとしてしまったからだと君は言ったけれど
嘘つきな君のそんな言葉を僕が信じるわけはないし
君もわかっていてそんな子供だましの嘘をついた

ただはっきりしていることは建物の中から見えない空を見上げて
手を伸ばす子供達がぼくたちにはもう見えやしないってこと

息苦しい密室にいたせいで子供達の声はかすれてしまった
ざらついた音楽をとりとめなく響かせる溝の磨り減った
レコード盤のように

さきっぽのまるまった針を不用意に叩き付ける
レコードプレイヤのように悲しみを連れて世界は踊る

君と夢見た新しい日に空を見上げる
ブラウン管の中には悲しみの粒で出来た幾つもの走査線
君との約束を守れなかった僕がテレビの中の子供達を救える訳が無い
川岸に沈んだ声を拾いに君は葦の生い茂る川べりを彷徨い歩いた
夢に見た景色の先にあったのはいったい誰の絶望だった?
波に打ち上げられたのは大きな鯨ではなく二人の子供

どんな真実を連れて?
どんな約束を連れて?
彼等は岸にたどり着いたの?

遠い約束を手紙にしたためて
僕は何を君に話せばいい?
いったい何から君に伝えればいい?

桜の花びらが青空に散る

川床から見上げる空はとてもあおく太陽の眩しさが無神経に胸を刺す
オフィーリアのように君はかすかに笑い
無数の藻に細い腕を絡めとられて沈んでゆく
時間に逆らう言葉を摘んで
深く沈みゆく涙の色が見える
子供達のしなびた手にひかれて小さな空気粒が川面に弾けると
僕は知るのだ
たくさんの嘘の中にも少しだけ真実が見え隠れしていることを

君の消えた穏やかな水面に手を差し入れ冷たい温度を感じとる
掌に残った不確かな温度は決して君のものではなかったけれど
出棺の日
棺の前で泣き崩れた君のお兄さんの涙のぬくもりにとてもよく似ていた

桜の花びらが青空に舞う

桜並木に穏やかな日が差し
影が束の間
夜の闇を地面に映し込む午後
小さな水たまりに浅縹色の鮮やかな空が揺れると
不意に視界がひらけ
身に覚えのある懐かしい火が心に灯る

その日僕は
しなびた桜の花びらとともに
君へ宛てた短い手紙を赤いポストに投函した

 
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