風は吹くだろう


風は吹くだろう

冬の日の恋人を川べりに残して

風は吹くだろう

南の方角に

あたたかく

そして冷たく

風は吹くだろう

老いていく私の躰に

あなたのかわいた唇のあとを残して

風は吹くだろう

新しい原子と原子の結びつきに

不思議な戸惑いを覚えながら

風は吹くだろう

朽ちてゆく木々と

その思い出に胸を締め付けられながら

風は吹くだろう

銃槍を突きつけられたこめかみに

風は吹くだろう

「ノー・モア・ヒロシマ!」

と叫ぶ年老いた人々の影のむこうに

風は吹くだろう

笑いあう声と

それに聞き入る痩せた女の艶のない肌に

風は吹くだろう

夏の日の美しい女たちに

風は吹くだろう

額から滴り落ちる汗を

気にもとめず走りつづける少年に

風は吹くだろう

コーヒーを飲む彼女の

長く美しい黒髪に

風は吹くだろう

道端に横たわる猫の死骸に

風は吹くだろう

病院のリノリウムの床に

お漏らしをした老人のふらついた足元に

風は吹くだろう

教室の窓に肘をおき

物思いにふけっている少女の鼻先に

風は吹くだろう

お墓の花をかえる母親のしっかりとした指先に

風は吹くだろう

万馬券を当て感極まって泣いている

頭の禿げ上がった男の肩に

風は吹くだろう

女の叫びとともに

風は吹くだろう

煙草を吹かしながら独り言を呟く若者の

追いつめられた目の奥に

風は吹くだろう

いつまでも手を握りあっている

二人のそばに

風は吹くだろう

殴られた頬と

ズキリと痛む後頭部の縫い痕に

風は吹くだろう

腹を空かし泣く子供の頭を殴る母親の

醜く晴れ上がった背中のケロイドに

風は吹くだろう

避けられぬ運命を憂れい海に飛び込んだ若者に

風は吹くだろう

あなたと過ごした日々の記憶に

懐かしい夕日の色を包んで

風は吹くだろう

言葉を失った人の口元に

風は吹くだろう

何度でも

風は吹くだろう

絶えず嘘を付き続ける人のかわいた唇に

風は吹くだろう

嘘を洗い流すまで

風は吹くだろう

罪を洗い浄めるまで

風は吹くだろう

地球と呼ばれる天体が人間の存在を包み込み

人間の頭の中に地球という存在が自覚されうる限り

風は私たちを

裁き

癒し

いつまでも吹き続けるだろう

心臓と太陽の明滅のもとに

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